中山道妻籠宿を巡る旅。400年前の現在(いま)に生きる暮らし

妻籠宿

 江戸と京を結ぶ中山道に、江戸から数えて42番目の妻籠宿は、400年前の暮らしが現在も息づく宿場町として賑わいを見せている。
 木曽谷の西南端に位置する美しい自然と、山深い木曽谷の中の里山風情ある街並みが外国人観光客にも人気だ。
 昭和51年に国の『重要伝統的建造物群保存地区』に選定された妻籠宿。町並み1kmにおよぶ江戸時代の宿場町が、今なお生活の中で息づいている。

YouTubeでみる

中山道妻籠宿

 長野県木曽郡南木曽町にある妻籠宿は、中央自動車道中津川I.C.から車でおよそ30分。JR南木曽駅からはバスも出ており、およそ10分ほどで到着する。

 馬籠宿をまわった後、車で移動して妻籠宿にやってきた。

 馬籠宿から車で移動すること10分、妻籠宿の第二駐車場の一番奥にサンバーを停めた。第二駐車場の一番奥の場所は、そのまま妻籠宿の中心部にいく道につながっているため、アクセスが良いというのを事前に調べて知っていた。
 到着したのは、あたりが薄暗くなった夕方17時前。平日の夕方ということもありさすがに観光客の姿もまばらだった。

妻籠宿

 江戸時代から明治になり、鉄道や道路の発展に伴い、宿場としての機能を失った妻籠宿は、衰退していった。
 昭和の高度成長の中、江戸時代の宿場の姿を色濃く残す町並みが見直され、全国に先駆けて保存運動が始まった。

 街並み保存のために、妻籠の人たちは、家や土地を『売らない・貸さない・こわさない』という3原則をつくり、ここで生活しながら江戸時代の街並みという貴重な財産を後世に伝えている。

歴史をそのまま残す宿場町

 江戸と京を結ぶ中山道は、山深い木曽路を通ることから木曽街道とも呼ばれている。中山道69次のうち、江戸から数えて42番目となる妻籠宿は、中山道と伊那街道が交叉する交通の要衝として古くその役割を果たしてきた。

 妻籠の地には、古くから人の住んだ跡が残されており、宿場周辺からは中世の遺物が発見されている。

 宿場と火災は古くは悩みの種だった。ここ妻籠宿も例外ではなかった。寛永11年(1634)の火災をはじめ、数多くの火災が関係資料に残っている。

妻籠宿案内図

 妻籠宿の街並みには電柱が見えない。実際には電柱は存在する。街並みの裏側の隠れた場所に建てられているため、景観を損なわずに済んでいるのだ。
 これをらを含む古い時代を保存するという取り組みは、妻籠の人たちによる「妻籠を愛する会」にて、観光的利用であるという考えのもとに意思統一を図り、自然環境を含めた宿場景観、あるいは藤村文学の舞台としての景観保存に尽力した結果だ。

最後に・・・

 今回は、馬籠宿を回った後に妻籠宿にやって来た。狙っていたこともあり、夕方の薄暗い妻籠宿に行灯の明かりがいっそうきれいな景観を作っていた。
 もっと明るい、はっきりと街並みが見える時間帯にも再度訪れたいとも思った。
 馬籠宿と妻籠宿は、地理的な近さから一緒に語られることが多い。観光の際は、ぜひ馬籠宿、妻籠宿と回って欲しい。
 二宿を結ぶ旧中山道と県道7号を経由しておよそ9km、3時間ほどのハイキングコースもある。
 坂道の長さの関係から、馬籠から妻籠に向かって歩く方が比較的楽だとのことだ。

東海地区ホームページ制作会社

お問合せ

ご依頼および業務内容へのご質問などお気軽にお問合せ下さい

集客からファン化へ
今抱える問題や悩みをお聞かせください。TeamSEEKが問題解決まで完全サポートいたします。

コメントを残す